人生再生軌跡のブログ

中年まで地べたを這う生き様の私が人生再スタートを幸せになる過程の記録です

一番大事なものは本人の意思と意欲です。

産業保健福祉コンサルタント

千葉幸恵です。

 

人生において

何をさしおいても大事な事

は本人の意思と意欲。

 

これがないと、

どんなに周りが変わっても

最後の最後はここで崩れて

しまいます。

 

 

 

私の社会復帰に向けての取組

 

私の例で言うと、

交通事故にあって5年引きこもりました。

身体の痛みと下らない微熱、

旦那との関係などいろいろありました。

 

5年目の途中から、

家にこもっていて専業主婦でこのまま

寝たきりで旦那に気がねして、

小言を言われ続けて生きるのは嫌だと

真剣に思ったんですね。

 

もともと家事は苦手で、

四角い部屋を丸く掃除してどうするんだ。

こんなのやったうちに入らない。

そういう感じで言われていましたからww。

 

それで、心身のリハビリを兼ねて

通信教育で社会福祉士の勉強を始めたんです。

私は精神保健福祉士で実務経験があるので、

実習にもいかなくてよいこともありました。

 

1年に1回4日間のスクーリングと

毎月1回の添削を出す。

健康な時には、スクーリングも

東京ですから夜帰ってきて朝でかける。

それを当然のようにしていました。

 

添削を出すのは1月毎日24時間

具合が悪くて寝ているわけでは

ないので大丈夫だろうと見通しが

ありました。

 

私は試験自体も共通科目は免除ですから、

課題は出しておいて単位をとれば、

1年目はクリアできるのがわかってます。

 

問題はやっぱりスクーリングでした。

それでもやっぱり社会福祉士をとる以上

スクーリングの4日がもたないと

試験受けられないのです。

 

だから、この時に私がとった行動は

スクーリング近くのホテルを3日間とりました。

千葉県にいるのに池袋にとまってるんです。

 

でも、やっぱりどうしてもやるんだ。

ここで2年間のスクーリングを終えて、

試験を受け合格したら、フルタイムで

社会復帰できるだけの気力と体力が

戻った!

 

そういう自信がつく、目途がたつのが

自分でわかるからそうしたんですね。

私の意思と意欲がなかったら、

できないんですよ。

 

だから、いろんな物事をするにあたって

どんなに周りがお金を出してくれとも、

どんなに道を整えてあげても、

本人が決めて動かない限り、

絶対に進まないんです。

 

社会復帰する意欲があった時に

もう一つ重なったのは、

母の突然の入院でした。

 

障害者雇用専門の人財紹介会社に

エントリーをして、2次面接に

呼ばれている日の前日に母が倒れました。

 

入院の手続きや入院中は自分が通院

しながら毎日病院に行ってました。

あわせて、限度額療養の手続き、

介護認定の手続きなど、私が

知識を持っているので全部入院2日目には

終わらせてました。

 

意欲がある時って、

やはりそれを後押しする、

自信をつけてくれる出来事も

あるんですね。

 

 

 

支援をする側はやりすぎ

共依存に注意が必要

 

休職していたりすると、

つい病気だから気の毒だからって

やりすぎちゃうんですよ。

 

これって本人の力をそぐだけなんですね。

私はきつい事をいうけれど、

病気には疾病利得があるんです。

 

言い方を変えると、病気にならなければ

表現できない何かがあるんです。

全部周りがおぜん立てしても、

一度なおってもまた違う形で

出るんです。

 

自分で気が付く、

自分で立ちあがる

相手の力をそがない支援が大事です。

 

いかにお金をかけても、

首に縄をつけて引っ張っても

相手が立つ気がなかったら、

ダメなんですね。

キョヒしばみたいなもんです。

 

お金をかけたから、

成果を出さないとって

抱きかかえて車いすにのっけて、

サポーターつけても24時間監視できないですよ。

 

今度は座り込みじゃなくて、

寝たきりになってしまいます。

でも、そうさせてしまうのが、

やりすぎ支援と共依存でもあります。

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 みるくちゃんは半分しばが入ってました。

お散歩中に、こっちの道は嫌だ!となると、

がんとして座り込み歯を食いしばって、

足を踏ん張り全く動きませんでした。

 

だから、支援をするほうは

メンツやかけたお金がどうこうではないんです。

 

専門家というのは、

本人の意欲がない、

今はその時期ではない

と言う事もはっきり言うのが

責任です。

 

どんな選択肢があるのか、

本人が考えられるよう

おぜん立てをしても、

そこに立って座って箸を手にして

食べるのは本人だから。

 

 

自信を持って恐れず。

最善を尽くしている。

一人ではない。

チームだからね。

 

結論:人生において

すべての選択において

本人の意思と意欲がなければ、

物事動かず変化しません。

 

本人気が付いて立ち上がるまで

見守るだけの期間が限られるけれど、

時間に限りがあると言うのは、

本人にとっても周りに取っても

希望であり救いなんですよね。

 

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そういつだって、気が付いた時がスタート。

自分が変わる時もそうだし、見守る時だって

支援する時だって同じ。

 

今はあせりとひけないって気持ちがあるよね。

私が俯瞰できているから大丈夫だよ。

私は遠慮せずに専門家として

対話してるからね。1人じゃないよ。

もう気が付いているよね。

 

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