人生再生軌跡のブログ

中年まで地べたを這う生き様の私が人生再スタートを幸せになる過程の記録です

私の身に付けた自己防衛―表情を消す―

人間保健メンタリスト

千葉幸恵です。

 

さいころからの

自分を守る方法を思い出してます。

これも記憶ですね。

 

1歳前からうつの潜在気質が

出来上がる家庭環境にいた。

時代を50年先がけて体験してます。

 

さて、本を読みながら自分の殻にこもる。

あと2つ身につけた自己防衛術。

その1つは表情を消すこと。

 

私の時代の幼稚園って年中さんから。

それで私は12月生まれだから

4歳3か月で幼稚園に入ります。

 

2歳になるころで既に泣いても無駄、

泣いたら余計に母のいらいらがつのり

自分は泣いたらいけないと学んでました。

 

3才になった時には、

物を言わない表情の乏しい子でした。

顏に表情が出るとそれがまた、

母の感情を刺激するからですね。

 

だけどまだまだ子供で、

全部は押さえられないので、

口だけとがってムスっとしてる。

 

ほほが若干ふくれるというのは

あったように記憶してます。

もう少し知恵がついてくると、

表情を読まれないように、

下を向く、視線をそらすことを

覚えます。

 

でもそれも、なかなか怒っている

母には通用せず顔をつかまれて

人の話は目を見て聞けと

罵倒されたこともありましたね。

 

 

その代わり私は言葉で物を言わないし、

まだ3~4歳は言葉が思うように使えません。

それもあって自分の気持ちは、

虚弱体質で主張してました。

 

寝込んでいる時、

病院に行くときだけは、

母が優しく自分だけを

見ていてくれるからですね。

 

とは言っても、

「なんでこの子はいつも

身体が弱くて病院ばっかり。

手がかかって仕方がない。」

よくそんな言葉も聞いてました。

 

こんな感じで不気味な子供

さっちゃんは育っていきます。

 

私が、さっちゃんと呼ばれたり、

さちえちゃんと呼んでと言わないのは

呼ばれてこなかったせいもあります。

 

大人になって旦那が、

さっちゃんと呼ぶようになり、

自分のことでないように感じる。

そんなこともありましたね。

 

自分の持っている名前すら、

嫌だったことを書いていて

思い出しました(笑)。

 

幸せと恵み。

なんて見にそぐわない名だと。

そう思って生きてたんですね。

2年位前まで。

 

母はさちえと読んでましたし、

父方の祖母が唯一さちえちゃんでしたが、

昔は父方の祖母すら苦手でしたから。

 

これは、母の影響で父方祖父母の家は

クリスチャンでなじめない。

足が遠のくが多々影響しています。

 

もう少しだけ、

自己防衛の話が続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

簡単に楽しく続く!うつ予防

セルフケア)

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 ※転載、PDF等による配布許可頂いてます

 

 

幸せホルモン度チェック

 

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今は自分の名前がとても好き。

そして、名は体を表すって感じる。

こういう記憶にずっと引き戻されて生きてきた。

そう気付いたら学びに変わったよ。

人生は再生できる。

 

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