人生再生軌跡のブログ

中年まで地べたを這う生き様の私が人生再スタートを幸せになる過程の記録です

父母との関係の変化がおきた!

アルコール依存サバイバー

千葉幸恵です。

 

もうちょっとわかりやすく言うと、

アルコール依存性者の家族、

共依存克服者です。

 

私はアルコール依存ではありませんでしたが、そのかわりに2年前まで依存していたのが、頭痛薬でした。

 

 

その依存歴史は古いです。

我が家は母が頭痛持ちでした。

だから小学3年位にはもう既に、

頭痛薬を私も飲み始めていました。

 

 ちょっと話は前後して、

GWに入り実家に帰りました。

その時に、私にとって

家族ってこういう感じ

昔からこうあってほしかったような

居場所となってたんですね。

 

そのきっかけになっていたのが、

父方の親族集まり3月21日の祈念会から。

 

 

 

父はこの2か月足らずで、

またずいぶん腰が曲がって

小さくなってたし。

(それは外見の話でしょ)

 

祈念会から、物腰がずいぶん

柔らかくなったように感じます。

 

前は押し付けてこられた感があったし、

私が何かしゃべらなくちゃとか、

もう、理想主義者だなとか、

思ってたんですけど、それも

なくなりました。

 

ずいぶん私が身構えていましたから、

父もちょっと顔を出して、

お茶は飲むけど15分位で

自室にあがっていってました。

 

 それがこの最近2回の帰省では、

一緒にいる時間を楽しんでいるように

見えますし、よく話します。

 

私が帰るまで、トイレ以外は

席を外しませんし。

 

 

 

 母は母で、自分の出た

オカリナの発表会CDや

オカリナの話を聴かせてくれて、

随分家族らしい風景になった。

 

なんだ、お父さんも

聞きに行ったんだとか、

いちいちびっくりしました。(笑)

 

 

というのは、

もう私が母のお腹にいるころから、

父のアルコール依存による、

失敗が引き起こす数々に、

母のイライラが影響し、

父の変わりに私が怒りの矛先になり、

私は私で父を目の敵にしてきたし、

必死に家を守ろうとしてきたんですね。

 

その結果というか

子供にしては大人びていて、

子供からみたら気持ち悪くて、

学校に行けばいじめられる。

 

家では母から言葉の暴力を受ける、

女だからお姉ちゃんだからと育てられ、

ひねくれて自己表現しなくなりました。

 

 

 

とても1回ではかけないので、

徐々に書いていきますけれど、

いじめとアルコール依存と

自分の依存を克服した人です。

 

だからこそ、家庭や、学校、職場等

どこか一つでいいから、

自分の心から安心できる居場所を

作るために必要な教育や場作りが

必要だって考えているんですね。

 

 

お父さん、お母さん!

見てみて、聞いてきいて。

それでねっ」

 

3人が満たされなかった子どもを

遠慮せずに出し始めた。

 

 

私が小さい時に、

ほしいと思っていた家族の風景。

 

正直この日が人生の半分までに、

来るなんて予想もしていなかったのです。

 

 

この年までに実感できて、

幸せだなって感じます。

 

 

 

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 ※転載、PDF等による配布許可頂いてます

 

 

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