人生再生軌跡のブログ

中年まで地べたを這う生き様の私が人生再スタートを幸せになる過程の記録です

結婚が○○だった!(生き方と愛!?)

 愛する皆さま、

今日も当ブログにおこしいただき

ありがとうございます。

千葉幸恵です。

 

 前回は、旦那とのエピソードを

書いたわけですね。

夫婦関係は、親子関係を

うつしだしている。とも

言われます。

 

前回のエピソードを書いたから、

浮いてきた事なんですけれど。

私の結婚、実家からと仕事の

パワハラがらみに関わる

選択でした。愕然。

 

 私は、一番最初に勤めていた

証券会社の時は、営業でした。

しかもバブル崩壊後入社なので

敗戦処理なんですね。

 

6年の間に、

日経平均7000円台。

円高70円台。

まぁ証券暗黒時代。

 

数字が上がらなければ、

人間扱いされないし、

5年たってもお茶当番や

男性社員へのお昼配膳なんかも

ありました。

 

そんな中、胃に2回も穴

あきかけたり、頭痛薬を1月に

80錠消費したりしてたわけ

ですが...。そんな時でも、

お見合いの話や、人からの

紹介は皆無ではなかったん

ですよね。

(もっぱら先輩にきたお話を、

先輩ががダメならちのーさん、

どう的なけっこう横流しな失礼

さですよね、今考えたら。)

 

 その時は、こんな証券の仕事

から逃げる手段で結婚しても、

自分も相手も幸せにならない。

と感じてたんです。

 

そもそも、26になる年まで、

結婚してもいいな、と感じる人

には出逢わなかった。

 

両親を見ていて、

むしろ結婚したら、不幸。

結婚するつもりはないって、

そう言えばずっと、幼い頃から

公言してました。

 

それなのに、なんで今、

結婚しているのか。

 

 それには2つ理由があります。

 

 1.うちは超ダメンズ弟がいます。

短期間で2回も自己破産するような。

素を辿れば、アルコール依存の

家族機能不全が生んだ環境の

現象化なんですけれどね。

 

当時は、督促の電話やいろいろ

あって、両親は弟をかばおうと

するので、私と激突するわけです。

 

そのころは、私も精神保健福祉士

の専門の勉強を終えてましたし、

尻ぬぐいしたり、共依存にして

いる環境を変えないと解決しない。

ということは、わかるので、

親に伝えるわけですが・・・。

 

父母ともにおもしろくないわけで、

両方とも感情的になり、

「娘に何がわかる。」と

弟をかばい私には、本や物、

暴言、怒りが

投げつけられるんですね(笑)。

 

まあ、家にいても、

心の居場所はなく。

 

昔から、母は弟の方が可愛く、

私は姉だから、女だからと

我慢を強いて育てられ、

自分の事は聞いてくれないと

思ってきてたから、なおさらですね。

(これは、当時そうとらえて

いたのだということです)

 

2. あわせて精神保健福祉士という

  専門職の名のもとすごいパワハラ

  受けていた。

 

そもそも、旦那とは5年つきあって

ましたけれど、「結婚」なんてことは

私の頭にはなかったんですよ。

ずっと。

 

 それが、親の

「あなたたち、これからどうするの」

の言葉に旦那が反応して、

結婚することになったという、

成り行きで。

 

今思えば、これも私の、

無意識の逃げ

 

だって、旦那のご両親が、

アルコール依存やDVで離婚

しているのも知っていたし、

旦那が連帯保証人になって

借金返済してたのも知って

いたから・・。

 

アルコール依存家庭の

サバイバーどおしが結婚て、

うまくいく確率低いじゃん。

って冷静な目で見ると、

そうなりますよね。

 

逃げの心理が働いてるから、

俯瞰できてないんですよね。

ただ、逃げたい。

 

そう考えると・・・。

結婚式当日に起きた事は、

いろんな意味で象徴と示唆に

とんだものでした。

 

 続く。

 

 今日も最後までお読みいただき

ありがとうございました。

 

 この経験から何を学ぶのか。

「そこに愛はあったのか」が

ポイントですね。

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