人生再生軌跡のブログ

中年まで地べたを這う生き様の私が人生再スタートを幸せになる過程の記録です

わがルーツを訪ねて②

 夢かなえる皆様、

今日も当ブロクグにお越しいただき

ありがとうございます(*^▽^*)♡

 

 前回は、お年寄りの原宿

巣鴨に、父方先祖のお墓参りを

したお話をいたしました。

 

 お墓参りの後、巣鴨と言ったら

「塩大福でしょ!?」。

実家の両親に

塩大福を購入しまして、

祖父母の戸籍謄本を実家に見せて

もらいに行ったのが今回の話です。

(コピーとらせて頂きました)

 

テーマは、

【父方先祖の情報少なしの巻】

 

 私の優勢遺伝子は、

父方祖母ハツ→父→私です。

(前回も書きましたね(^^ゞ)

 

 まずしっかり見て驚きました!

祖父、幸太郎は3男と

聞いていたけれど、

4男でしたっ\(◎o◎)/!

 

ここで、知ることができた

曾祖父母のお名前。

なんと、曾祖父から

引き継いだ名前が「幸」。

 

曾祖父:幸蔵

祖祖母:キタ

 

祖父この「幸」が本当に

愛していたらしく、

弟にも「幸司こうじ」にしろと

言ったらしいww(~_~;)(笑)

 

(「嫌だよ、兄弟そろって

同じ字入ってんのは!」)と

言ったら母がやはりそう感じて、

父の命を救った先生から1字

頂くことにしたのだそうです)

 

 同い年の従兄がのぶ「幸」君

でしたねー。

これは、全くの余談です。はい。

 

 さて、情報が少ないのは、

祖母の方はもっと少なかったです。

 

100歳で祖母は天に召された際、

結婚する時に、戸籍がなく復籍

したという話を葬儀の際、聞いて

いたのですが・・・。

 

本当にその通りで、祖父との

婚姻届け出から、戸籍が始まって

いました。

(通常は、どこにいつ生まれて、

誰がいつ届け出たから始まって

ますよね)

 

それでも、祖母の誕生日と父母の

名前を知ることができました。

曾祖父:三五郎

曽祖母:ハル

 

祖母は、北海道で生まれ、

曾祖父母が早くに亡くなり、

北海道中を奉公して、

転々として生き抜いていたと、

聞いております。

 

 祖父と出会ったのも、

祖父が数人で写った写真を見て、

結婚する事を決めたのだとか。

 

昭和初期から、祖父母は

クリスチャンでしたから、

同じ信仰を持つ方ならと、

言う事だったらしいです。

 

 祖母が「この人だろう」と

思っていた人と、迎えに来た

おじいちゃんは、

「違う人だった!!」\(◎o◎)/!

 

 戸籍の事といい、時代背景が

あっての事で、今は本当に

恵まれているなと改めて感じました。

 

 奉公先があまりに辛くて、

祖母が逃げたとか、そんな

お話も聞いていたので。

 

 昭和初期の北海道で、

今で言ったら中学生位の娘が、

逃げて行きのびていたって、

すんごい行動力と強さだと

感じました。

 

私は、その孫。

父の行動力や生命力や強さに

ついては、また、別の機会に

お話をするとして。

(また長くなってしまったので(^^;)

 

このお話は、わが父母の出会いに

ちょっと、似た部分を感じて

後日にんまりしてしまったのですが。

 

後は、父やおじおばが、

父母から聞いた話、

彼等の目から見た姿を

聞いていくと言う事

なんだろうと感じました。

 

父も、もうすぐ80に

なりますから、早くいろいろ

腹割って、聞いていかないと

と感じました。

 

 父に手紙を書いた話も、

また後日いたしましょう。

 

 祖父母の墓石には、

「我らの国籍は天にあり」

とありました。

 

 私は、信仰はないけれど、

人類の平和と幸せを

心から願っていた祖父母は

感じてましたので。

 

祖父母が選んで残した言葉は、

とても素敵だと墓前で、

胸にこみあげるものが、

あったのでした(#^^#)

 

 今日も最後までお読みいただき

ありがとうございます♡

 

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