人生再生軌跡のブログ

中年まで地べたを這う生き様の私が人生再スタートを幸せになる過程の記録です

「女」であることと闘ってきた!

産業保健福祉コンサルタント

千葉幸恵です。

 

最近記事を書いていて、

ずっと避けてきた事がまだ

2つあると気が付いています。

 

1つは今日のタイトル。

「女」なんて強い言葉。

 

そう、私は「女性」

というとらえ方ではなくて、

女は...」という世界に

ずっと自分がいたからですね。

 

今は令和になりましたけれど、

まだまだ世の中

男尊女卑の世界ですよ。

 

 

私が生まれ育ったのは、

(幼少から青年期と言えばいいか)

昭和なのでもっと明確でした。

 

というよりは、わが実家が

男尊女卑だった

というのが正しいか。

 

今は共働きって、

とても多くなってますよね。

私の生まれたころって、

女の人の結婚適齢期24歳位。

 

結婚が決まったら会社を辞めて

家に入って子供を産んで育てる

というのが当たり前の時代です。

 

実際に社労士になる勉強で、

年金なんかの歴史を学んでも、

厚生年金自体通算して20年に

ならなそうだからって、

脱退しちゃっているんですね。

 

そう言う意味では、

うちの母は子育てが終わったら、

また社会に出るって思っていたから

脱退一時金をもらわなかったと、

話していました。

 

典型的な父の収入だけ家庭。

今でも感じてますが、

やはり結婚して家庭に入って、

子供が産まれるとなおさら、

母には家庭の中しかないですね。

 

私が幼稚園に行くようになるまで、

完全な家庭内母子カプセルの中、

 

父は会社があり仕事があり、

面白くない事があれば、

お酒を飲んで帰ってくる事が出来た。

 

よく聞いていた言葉は、

「俺は働いて家にお金を入れている」

「家の事はあんた(母)に任せているから」

ですね。

 

私は母が父に言われる事を、

ずっと一緒に聞いているし、

寝ていても無意識にすりこまれる。

そういう環境でした。

 

母からの幼稚園に行くまでの、

影響は強かったです。

3つ子の魂100まで。

古いことわざですけれど、

半分正しく半分不正解です。

 

常に「女だから」と言われる事が、

私には制限にしかなりませんでした。

最後は4歳になる前に、

「私だって女じゃなくて

男がよかったよ」と叫んでますから(笑)。

 

小さい頃から、

なんで女だと

家庭に入らないといけないのか。

 

なんで女の子だから、

白いタイツに白いスカート

赤い靴のその他大勢で、

ズボンをはいた男の子チームに

行きたいといっちゃいけないのか。

(おゆうぎ会)

 

納得できる説明はありませんでした。

と言うよりも、「なんで」と聞くのは、

母と大人を苛立たせるだけ。

 

そういう諦めを早くに

身に付けていました。

(今気がつきました)

 

だから、そんな事の答えがほしくて

本を読みあさっていたんですね。

 

女手ある事の闘いは、

まだまだ続きます。

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簡単に楽しく続く!うつ予防

セルフケア)

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 ※転載、PDF等による配布許可頂いてます

 

 

幸せホルモン度チェック

 

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自分で親と遺伝子を選んで産まれてる。

そう学んだ後の衝撃たるや忘れません。

 

すべての事に意味があると感じてるよ。

あるものが受け入れられると、

感謝と共に楽しくなるよ。

 

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