父と私とお金のこと
産業保健福祉コンサルタント
千葉幸恵です。
物の値段がわかるはずの人に
行ったはずですが...。
40分の1かあ。
というのは平成最後に手放した
ジュエリーですね。
さて話は変わりますけど、
お金の話です。
なんで父が出てくるのかと言うと。
我が家は私が3つの時に、
土地付きの一軒家が当たりました。
当時の値段で1千万。
当時は私も意識がありませんでしたが、
その前からずっとお金のことで、
家の中はギスギスしていました。
ギスギスきりきりした雰囲気は、
父のアルコール依存、
母の性格だけではありませんでした。
家が当る前から、
父は株で失敗を繰り返していたようです。
また自分の兄弟には甘く、
おじが教会を建てる時には、
1月分の給料を全額渡してしまうなど
していたようです。
それも、母に全く相談せずに。
そんなだから家が当たった時も、
父母の両親、親族からお金を借りたり
父の会社から借りたりしたのですが、
本当に大変だったと聞きました。
なにせ父と2年ずつ離れた兄弟が、
同じ年に我が家と3組結婚している。
だから、援助もそんなに出来ない!
母の貯金と親族から借りたお金も
多いにあったと聞いてます。
父も会社の住宅補助は今年度分は、
もう金額が満額になったから
来年と言われたのを、
「来年になったらもうその家買えない。
今来年の分を出してくれ」と
交渉して出してもらったのはすごいです。
(けっこうやる時はやるじゃん!
娘のくせに上から目線。
この話を聞いたのは半年位前です(笑)。
そんなこんなで、小さいころから
我が家はお金がありませんでした。
お雛様も、家族旅行もなく。
今から考えれば頭金だけなんとかして、
銀行からも親族からもお金を借りている。
父だけの収入でやっていて、
しかも父は事あるごとに株で失敗!
我が家は私と2歳違いの弟がいます。
時代的に、保育園に預けて共働きは
すっごい少ないです。
母も結婚して私が出来たから、
退職してます。
自分が進学する際も、
「頼むから高校は公立にしてくれ。
その場合大学はなんとか私学でも
行かせるようにする。」
父から直々に言われました。
もうこの頃は、
家の事情もわかるので、
何が何でも公立に行くと
私も思ってました。
父は割と大きなお金を
ぼこぼこ失ったりします。
と同時に娘に対しても、
お金で気を引こうとする所と、
ケチな所が極端にあります。
バブル崩壊後の証券会社に入って、
営業と人間関係があまりにも
辛くてやめたいと愚痴っていた時。
「3年勤めたら100万あげる」
と言って母にこぴっどく叱られてました。
私もとばっちりをくいました。
そりゃそうですよね。
「どこにそんなお金があるんだ。
娘に出すなら、まず苦労をさせてきた
私にでしょう!」
結果的に、これは4年後に私が
ハワイに行く代金20万円に変わりました。
そして残りは、2年後に私が大学に行くときの
入学金の差額20万を助けてくれました。
自社株を持っていたのですが、
退職までは引きだしたり売却できず、
期限が決まっていたので助けてくれました。
父も株や家の時、期限が決まっている
お金のやりとりを何回も体験しているので
そこは理解がありました。
感謝です。
一方常についてまわっていたのが、
うちはお金に恵まれてない。
お金が入ってこない。
極限まで働いてやっと、なんとかなる。
親~の援助は当てにならない。
自分の力で何とかしなければならない。
稼ぐ能力がそんなに高くない。
そういうお金に対する、
ブロックが出来上がりました。
そうそう父のケチと言えば、
私が結婚する時のお祝いが、
父母合わせて10万頂きました。
当初、父が1万と言ったらしく
母が仰天したという話があります(笑)。
お友達でも2万~3万包むのに。
同大学のご近所さんには、
葬儀で5万包むと言う位で、
非常識!!と母と私は仰天します。
なのに、娘には1万。ちょっと笑える。
このギャップはなんなんだと。
振り返ってみると、
こういう見栄っ張りというか、
外の人に対する気持ちが、
家族より大きいのが、
我が家の特徴でした。
私も家族にはとても心の距離があり、
自分の言いたいことは言えず、
遠慮してだけどわかってもらいたくて、
愛してもらいたくてずっと我慢。
自分は愛せないし、優しくない。
でも、人にはとっても優しい。
そっくりではないか。
父もお金を出すと言うことで、
自己表現と言うか内外に対する
表現をしていたのです。
お金も大事だし気持ちも大事。
その両方が揃って、
心が満たされるのですね。
簡単に楽しく続く!うつ予防
(セルフケア)
※転載、PDF等による配布許可頂いてます
幸せホルモン度チェック
空いたスペースに新しいものが入ってくる。
だから、家族やお金、仕事もそうなる。
令和の時代は学びとスピードの時代。
手放したものは、もう振り返りませんよ!
父と私はやっぱり親子でした(笑)
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天気と体調と克服してきたこと
産業保健福祉コンサルタント
千葉幸恵です。
今日は雷雨予想。
それもあってか、まず
おきあがることができませんでした。
気象病と言われることもありますが、
気圧、気温の微妙な変化でも、
交通事故やうつ経験者には
かなり響きますね。
最近自分の肩書を考える際、
自分が何を克服してきたのかなと
想い出したり考えたりしてました。
今数日落ち着いているのは、
産業保健福祉コンサルタントです。
今の時代は、早ければ高卒の18歳、
大卒22歳、院卒24歳、
医薬系、26歳の新卒さん。
各年代の中途採用を含めて
会社によっては70代の社員さん、
最高齢は80代の社員さんのいる
会社もあったように記憶してます。
社長さんがいらっしゃいますね。
私もそうだったのですが、
20歳で証券会社に就職をした時は、
心身共に健康でした。
バブル崩壊後の証券会社で、
ノルマと人として認められない、いじめ。
次第に心身の健康を崩していきました。
具体的には6年間うつ継続。
胃に穴があきかけたり、
過敏性大腸症候群になったり、
咳が2か月止まらず点滴打って出勤。
頭痛薬を一月80状飲んでいたり。
(薬物依存です)
でもこれらは、
全て入院したり休職にいたるような
日数ではなくて有給消化や遅刻、
早退の範囲で治まる状況に
自分がしていたからと言えば
聞こえがいいですね。
この時の私は全く、
社会保険のこととか労働法の
事は知らなくて無知でした。
私の常識もそうでしたが、
証券会社の中では、
自己都合退職も円満にやめる。
それは結婚と出産育児のため、
と言うものしかありませんでした。
そうは言っても、私の家は
父母の仲が悪く、
自分が結婚することなんて
全く考えていませんでした。
(アルコール依存症と
いつもお金の事でケンカ)
結婚することに
夢も希望もなくそんな状態で
相手を探して結婚しても、
ただ単に証券会社からの
ノルマから逃げられただけであって、
私も相手も不幸になるだけだと
そう思っていました。
現に、20数年間育ってきた
自分の居場所のなさ感や
自分を愛さえない感を
払しょくできるほどの
この人と人生を共にしたい!
そんな人もいませんでした。
さて、自分が克服してきた事。
いじめ
いじめを後輩や同僚に移さない
アルコール依存
父母との関係
5回のうつ
結婚の考え方
交通事故の手続き対応
交通事故後の5年のひきこもり
障害を持ってからの社会復帰
頭痛と頭痛薬依存
母の入院サポートから
社会復帰とっかかりができたこと。
こうやって見て行くと、
私の人生の中には家族がいて、
父は30代の時に
椎間板ヘルニアの手術で
1か月位会社を休んだと思います。
母は会社勤めをしている時には、
大病をして入院はありませんでした。
しかし、63歳の時に
突然脳こうそくで3週間入院しました。
その後、言語のリハビリの為数か月は
リハビリ施設に通所しました。
このような事を考えると、
入社した時は健康でも、
いつ何時予期せぬ病気やケガ等で
入院したり休んだりする不測の事態が
あるんだよねってことを再実感しました。
特に今日は、
自分が左上肢や首の痛みはさほど
ないものの、頭重感と胸の圧迫感
重苦しさがあって
昼間で起き上がれなかったので.....。
想いが若干体調の方によりました。
明日からまた、家族関係の自己対話が
進む予定です。
簡単に楽しく続く!うつ予防
(セルフケア)
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幸せホルモン度チェック
自分の克服してきた事って、
意外と沢山あるんですね。
それを自分は大したことないって
思っていることの方が多い。
自分が書いて改めて感じるし、
仲間の事を発見してフィードバック
した時の反応でもそう思う。
いい所は自他ともに、
どんどんフィードバック
していこう!
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父との確執!幼稚園の父親参観で顕在化。記憶が変わるまで。
産業保健福祉コンサルタント
千葉幸恵です。
肩書きに近い状況の話が
ブログ記事になるには、
もう少し時間がかかります。
ただ、ふと今思い出していたのですが、
父は私が幼稚園に入る前に、
椎間板ヘルニアの手術をしていた。
その時は、傷病手当金の手続きが
あったのかしらと思いました。
私を公園で遊ばせていて、
遊具に手をかけられるように
抱っこしたら発症した説。
落ちた消しゴムを拾うのに、
横着をして椅子に座ったまま
腰をかがめて発症した説。
2説ありますが、いずれにしても
昭和40年代に腰にメスを入れる
と言う行為はかなりリスクが高いです。
父いわく、下半身不随と言っており、
その闘病後1年位の出来事です。
なぜに母の日の今日、
父親参観の事を思い出したのかは
ナゾです(笑)。
実績など棚卸をしていて
出てきたアイデアからふと
頭をよぎったのでした。
さて、その父との出来事です。
それを機に、私の幼少期に
意識がかなりさかのぼり
もう一度自分と向き合うと共に、
過去の記憶が変わったと感じました。
先週の記事から、
母と私の事しか出てきておらず、
父の姿はあまりなく、
ただアルコール依存症で、
帰ってくるのが遅いんだなという
感じでしょうか。
一緒にいる時間は母の方が、
はるかに長く確執が大きいと
感じていたのは大いなる誤解。
昨年佳花塾で遺伝子について学び、
私の引き継いでいる遺伝子が、
父の遺伝子だと知った時の衝撃!
なかなか一言では言い表せません。
外見は母にそっくりと言われます。
父は私に対して、
酔って暴言を吐くということは
社会人になるまではありませんでした。
むしろ直接的に虐待は受けないけれど、
間接的にもっと母の感情まで、
私に乗り移ったかのようでした。
父母共に私の敵だ。
親ながら心は許せない。
でも、我慢しないと生きていけない。
そんな中での生活は、
共にする時間が短い父をもっと
心理的にシャットアウトする
事になっていきました。
つまり母を怒らせているのは
父親だ。だから父が全部悪い。
そう言う方程式が出来上がってました。
幼稚園の時の事件は
初の父親参観日でした。
始まるまでの間、
庭で遊んでいていいとの事で、
私はジャングルジムのてっぺんで
父やよそのパパが来る姿を見てたんです。
その時に父の姿を見ていた時に、
何かとても嫌な感じがしたんです。
泣きたくなるような、自分が消えて
このままいなくなっちゃえばいい。
そんないたたまれなさを感じました。
しばらくして、参観が始まるからと
お部屋に戻った時はもう途方もなく
哀しくて寂しくてつらくて....
参観中ずっと他の父子が楽しく、
フルーツバスケットをやっている中、
ブドウのお面を頭につけたまま
大声上げて床に寝転がって、
泣き叫んでいました。
父は父で私の前で、
なだめたりすかしたりしてますが、
全く効果ありませんでした。
私は先生は大好きだったのですが、
その時は先生の途方にくれた顔も、
泣きそうな顔も他のお父さんたちの
視線も気になりませんでした。
この出来事で家に帰り、
3時間近く4歳の娘を正座させて
お説教した父だったらしいですが、
そこは私の記憶に全く残っていません。
これが私が昨年11月に、
塾を卒業した時に思い出していた
内容でした。
今少し時間が経ち、
アドバンスでエネルギー解除を
したことから見えたものが
あったんです。
私はジャングルジムの上で、
何をみてあんなに哀しく、
地面に潜ってしまいたいと
感じたのかを。
やっぱりあの時も、
よそのうちと較べていたんですね。
よその内はお父さんとお友達が、
とても仲良く見えた。
みんなのお父さんは、
とても楽しそうにさっそうと見えた。
私の父はとても疲れてというか、
めんどくさそうに見えた。
そして、いつも母から聞いている悪口。
ケンカの声と共に一瞬に頭に浮かびました。
そうしたら、無性に無理に笑えないと
思ってしまいました。
更にお友達は自分のお父さんを見て、
嬉しそうに手をふったり
抱きついている姿を見たら、
私にはないものだって
感じてしまっていました。
それで参観日を台無しにして
しまったんですね。
この時から自分の中で、
父への苦手意識と、
心理的な確執が
明確になりました。
そこから40数年間、
記憶や感情が書き変わるまでに
時間がもの凄くかかりました。
その間にはやはり、
解決すべき課題の
重ーくのしかかっていました。
続く
簡単に楽しく続く!うつ予防
(セルフケア)
※転載、PDF等による配布許可頂いてます
幸せホルモン度チェック
過去の出来事と記憶は、
学びがあると変わります。
この学びがあるからこそ、
私は後日精神保健福祉士という、
資格と出逢い、遺伝子を解除する
ことができたのです。
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私の身につけた自己防衛ー目線ー
コミュニケーションコンサルタント
千葉幸恵です。
現在は、どこに行っても
気を使わないでコミュニケーションを
取ることができる私。
そんな私は3歳になる前から、
人と関わるのは大の苦手でした。
まず家族である母とは敵対関係。
というよりも、ずっと自分が
ストレスのはけ口になるサンドバック状態。
うすうすお気付きでしょうが、
父との関係は希薄。
父はアルコール依存症。
ほぼ子供の私が起きている時間に
帰ってきません。
今は土日お休みの所が多いですね。
私の学生時代、土曜午前中は学校も仕事も
半日あったんですね。
なので父と一緒に過ごすのは日曜日だけ。
日曜午前は二日酔いで寝てる。
なんて時も多々ありました。
そうするとどうしても、
毎日母の父への悪口や愚痴を聞き、
父がものすごく悪人に見えてくるんですね。
自分は父にとっては娘なのに、
ものすごい嫌悪感で親を見る。
そういう下げずんだ目をしてました。
そして、母に対しては
口答えできない。もしくは、
口答えすることによって
火に油を注ぎ、
言われなくてもいいことを言われ、
傷つけられる。
これを防ぐために、
3つ方法があったんですね。
1つ目。
目線を絶対に合わせない。
下を向いて絶対に顔を上げない。
でも、これも万全ではありません。
家族ですから、
あごをぐっと持ち上げられて、
顔つきつけられて怒られる。
2つ目は、
顔だけ笑って目が笑わない。
へらへらしてると、
怒りが増す時がありますけれど、
家族以外の時は、
笑っているから大丈夫だろうと
攻撃をやめてくれる時があった。
しかし、この方法は家族は通用しません。
下手すると
「怒らられてるのに何笑ってんの」と、
ひっぱたかれます。(笑)
3つ目は、完全に目だけでにらみます。
顏や身体の角度は変えずに、一瞬だけ。
その後は表情が消えます。
大体この時は、
「聞いてるの?わかった?」となります。
その時の反応もノーリアクションです。
なんだ、どの態度でもほとんどいい
結果ではないじゃないかですけれども。
不満や怒りの表現に関して、
「目は口ほどに物を言います!」
反抗的な態度をとっても、
素直に従順すぎでも、
相手の怒りや意地悪な心には
火が付くんですよ。
だから、気が弱いと思われた人は
とことんやられるんですよね。
歯むかわないから。
やっている親からしたら、
まさか子供が反抗するとは思わない。
自分の方が力も口も強いから
怒りだしたら見境がなくなりますね。
とことん悪意なく傷つけてきます。
このパターンが出ると、
いじめられるか
パワハラされるか
モラハラされるかですね。
やられやすい体質と反応を
ずっと持っていました。
そんな事を考えていたら、
いつから自分は人の目を見て
話すことができるようになったのか。
と感じました。
半年くらい前まで残っていたのは、
苦笑いして誤魔化して、
眼だけ笑ってないパターン。
これだと人当たりもいいせいか、
めんどくさいことも押し付けやすいけど、
なぜか職場でキーパーソンになるんです。
今思ったんですけれど、
私が相対している人間の、
「どうしてほしいがわかる」
のと焦りやいら立ちがわかる一方、
上手く立ち居振る舞い出来ない場合の
気持ちも私はわかる。
だから、第三者的に見た
ここをこうしたら、
相手に伝わるんじゃない、
と言う事を具体的にやってみせる。
そして、フィードバックするを
やっていたんですね。
例えば聴覚障害の人に、
10分後に会議と口だけで
伝えても記憶に残らないので、
メモと社内ショートメールで伝えたうえで、
時間になったら一声かけるとか。
音が聞こえないと、
周りが立ち上がったり、
時計の音が鳴ったりしたことが
気が付かないんですよね。
そういう特徴も、
社会福祉士でもあるから
よく知っているからこそできる。
周りも何をどうサポートするのか、
全くわからない事が多いので、
ほぼ関わりを持たない。
そんなところも、
コミュニケーションが不足する一因です。
自分を守る道具だった、
マイナスのコミュニケーション技術。
それが逆にうまくコミュニケーションを
取れない時に起きている事を、
発見する知識になっていたのですね。
意外な発見でした。
災い転じて福となすですね。
簡単に楽しく続く!うつ予防
(セルフケア)
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幸せホルモン度チェック
コミュニケーションがうまくいかない時は、
相手に反応がないから、
バカにされていると思う時がある。
眼を見て話しをきくとか、
あいずちを打つだけでも全然違いますよ。
試してみてくださいね。
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私の身に付けた自己防衛―表情を消す―
人間保健メンタリスト
千葉幸恵です。
小さいころからの
自分を守る方法を思い出してます。
これも記憶ですね。
1歳前からうつの潜在気質が
出来上がる家庭環境にいた。
時代を50年先がけて体験してます。
さて、本を読みながら自分の殻にこもる。
あと2つ身につけた自己防衛術。
その1つは表情を消すこと。
私の時代の幼稚園って年中さんから。
それで私は12月生まれだから
4歳3か月で幼稚園に入ります。
2歳になるころで既に泣いても無駄、
泣いたら余計に母のいらいらがつのり
自分は泣いたらいけないと学んでました。
3才になった時には、
物を言わない表情の乏しい子でした。
顏に表情が出るとそれがまた、
母の感情を刺激するからですね。
だけどまだまだ子供で、
全部は押さえられないので、
口だけとがってムスっとしてる。
ほほが若干ふくれるというのは
あったように記憶してます。
もう少し知恵がついてくると、
表情を読まれないように、
下を向く、視線をそらすことを
覚えます。
でもそれも、なかなか怒っている
母には通用せず顔をつかまれて
人の話は目を見て聞けと
罵倒されたこともありましたね。
その代わり私は言葉で物を言わないし、
まだ3~4歳は言葉が思うように使えません。
それもあって自分の気持ちは、
虚弱体質で主張してました。
寝込んでいる時、
病院に行くときだけは、
母が優しく自分だけを
見ていてくれるからですね。
とは言っても、
「なんでこの子はいつも
身体が弱くて病院ばっかり。
手がかかって仕方がない。」
よくそんな言葉も聞いてました。
こんな感じで不気味な子供
さっちゃんは育っていきます。
私が、さっちゃんと呼ばれたり、
さちえちゃんと呼んでと言わないのは
呼ばれてこなかったせいもあります。
大人になって旦那が、
さっちゃんと呼ぶようになり、
自分のことでないように感じる。
そんなこともありましたね。
自分の持っている名前すら、
嫌だったことを書いていて
思い出しました(笑)。
幸せと恵み。
なんて見にそぐわない名だと。
そう思って生きてたんですね。
2年位前まで。
母はさちえと読んでましたし、
父方の祖母が唯一さちえちゃんでしたが、
昔は父方の祖母すら苦手でしたから。
これは、母の影響で父方祖父母の家は
クリスチャンでなじめない。
足が遠のくが多々影響しています。
もう少しだけ、
自己防衛の話が続きます。
簡単に楽しく続く!うつ予防
(セルフケア)
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幸せホルモン度チェック
今は自分の名前がとても好き。
そして、名は体を表すって感じる。
こういう記憶にずっと引き戻されて生きてきた。
そう気付いたら学びに変わったよ。
人生は再生できる。
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私が身に付けた自己防衛―本編―
人生再生カウンセラー
千葉幸恵です。
また、本の話ですか?
と言われそうですね(笑)。
今日は出版の事ではないです。
自己防衛。
自分の身体や心が
傷つかないように守る、
対処の方法ですね。
本の話をしてます。
私の本を読む早熟さは半端ないです。
小学6年生で谷崎潤一郎読んでます。
ただ、気持ちが悪かったというか、
理解は出来てませんでしたね。
本を読んでいる時の私は
手がかからない子で、
自分の世界に完全に入ってました。
母と私にとって、
お互いが楽な時間でした。
今ならTVやスマホ渡されて、
「これで遊んでなさい」
と放置されそうですね。
母はTVを見る習慣が
なかったので私にはよかったです。
母の機嫌がよかったり、
が気持ちが安定している時は
まだこれでよかったのですが・・・。
残念ながら、
わが家はアルコール依存家庭。
父は酔っ払って遅くに帰宅。
そこで例えば玄関で寝てしまったり、
身一つで帰ってくるとか、
タクシー代払ってくれとかわんさか。
その都度、母の金切り声と父への罵声。
父の母への暴言を聞いている私。
それが夜や夜中におきているわけです。
寝てると思っていたかもしれないけど、
私は音と緊迫した雰囲気に敏感な子。
3歳になった頃には、
朝の母の機嫌がよくないのが持ち越される。
自分は何をやっても1日中家にいる間は、
母の怒りや不安、後悔等のマイナス感情を
すりかえて全部暴言となり攻撃される。
追い打ちがかかってたんですね。
そういう事を早くから学んでました。
だから本を読んでいても、
「掃除するのに邪魔だからどいて!」
「本なんか読んでも役にたたない」
なんかよく言われてましたね。
そして、私はどんどんまた自分の
わかってもらえない、
言ってもしょうがないが高じて
本を読むことで自分を守り、
逃げるようになりました。
さらに自分を守るために、
どんどん成長と共に身に付けた方法。
ますます、
可愛いげのない表情の乏しい子になります。
次回に続きます。
簡単に楽しく続く!うつ予防
(セルフケア)
※転載、PDF等による配布許可頂いてます
幸せホルモン度チェック
幼稚園の実習で、
笑顔と表情が乏しい子を観察対象にしたのは
原点があるんですね。
「人が本当に好きなんですね」
と今言われますから。
大丈夫です。
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セロトニン(幸せホルモン)とは
健康企業実現
かかりつけカウンセラー
千葉幸恵です。
いつも記事に出てくる、
(幸せホルモン)
ってなんですかにお答するページです。
・神経伝達物質です。
一言でいってもわかりにくいですね。
ある感情を感じた時に、
脳からそれぞれの感情別の
神経伝達物質が出るんです。
ある感情というのは、
嬉しい
楽しい
幸せ
感動
好き
とかですね。
例えば大好きな食べ物を目にしたとき、
「わぁ~お鮨だ!」っと感じた瞬間に、
「幸せホルモン」がどわーっと出ます!
それをイメージでいいますね。
手をつないでいる神経を通じて、
どんどん全身に送り届けていくんですね。
「セロトニンが来たよ。
はい受け取ったよ、隣に送るね!!」
一瞬で全身を巡りますよ。
1秒もかかりません。
人間は意識をしないと、
緊張している状態が多くなります。
セロトニンが出やすいのは、
リラックスしている状態です。
せっかくなので、
セロトニンが出やすくなる行動習慣を
あげておきますね。
ストレスの多い現代社会ですから、
ストレスになりにくい生活習慣として
覚えていて頂けるとよいですね。
1.朝日を10分以上浴びる
2.1日1回20分以上のウォーキング
3.食事の時1口30回以上かむ
4.腹式呼吸をする
5.姿勢がよい
(肩甲骨の間が狭い)
6.1日15回以上は笑う(口角をあげる)
7.1週間に1回は大泣きする
8.1日10回以上、明るく大きな声を出している
9.1日、1分間大声を1回は出している
10.1日1回以上スキンシップがある
11.セロトニンが出やすい食品を食べる
(バナナやキュウイ、発酵食品、
ナッツ類、青魚、豚肉など)
各項目について理由や詳細は、
少しずつまとめた本(POD出版)が
出るのでまた、その時にご紹介します。
簡単に楽しく続く!うつ予防
(セルフケア)
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